ぬぬぬ?

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時代の潮目を感じます @松野頼三、永眠

含蓄あるお言葉は嫌いじゃありませんでした
読み返せば、2エントリーほど松野氏の"喝"を引用させていただいておりました [title]
  ◆国会証人喚問の役割 @国権最高府とワイドショーの対決
  ◆ブーム相乗りに必死の小泉政府・自民党 @"韓流"タイゾーとWBC国民栄誉賞

松野頼三氏死去…元自民党総務会長、小泉首相の指南役
 自民党総務会長や防衛長官を歴任した松野頼三(まつの・らいぞう)氏が10日、心不全で都内の病院で死去した。89歳。告別式などは未定。自宅は東京都港区白金台2の14の10。
 「政界の策士」として知られた松野氏は、熊本県出身。参院議長を務めた鶴平氏の三男として生まれた。
 吉田茂・元首相の秘書官を経て、1947年に衆院旧熊本1区から初当選し、当選15回。佐藤栄作・元首相を支えた「佐藤派五奉行」の1人と言われ、総理府総務長官、労相、防衛長官、農相などを歴任。三木政権で自民党政調会長、総務会長を務めた。
 79年のダグラス・グラマン事件で日商岩井から約5億円の政治献金を受領したとされ、事件は時効となっていたが、道義的責任を取って議員辞職した。同年10月の衆院選で落選し、80年衆院選に無所属で出馬し、返り咲いた。83年に自民党に復党。中曽根政権当時の84年、総裁選をめぐり、福田赳夫、鈴木善幸両元首相らと会合を重ね、二階堂進・元副総裁の擁立を画策した。

(読売新聞) - 5月10日20時27分

松野頼三氏が死去 「政界の寝業師」の異名
 歴代首相と太いパイプを持ち「政界の寝業師」の異名を取った元衆院議員の松野頼三(まつの・らいぞう)氏が10日午後、東京都内の病院で死去した。89歳。熊本県出身。自宅は東京都港区白金台。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。民主党の松野頼久衆院議員は長男。
 参院議長を務めた父鶴平氏が吉田茂元首相の参謀役だった縁で吉田氏の首相秘書官となり、1947年には衆院選に挑戦。以来当選15回を重ね、総務長官、労相、防衛庁長官、農相、自民党では政調会長、総務会長を歴任した。
 72年総裁選では、当時の福田派の多数派工作に関与。田中政権発足後は金脈問題で田中角栄氏を揺さぶるなど、福田派の軍師的存在だった。しかし76年の「三木おろし」の際、当時の三木武夫首相を支持し、福田派から離脱した。

(共同通信) - 5月10日18時39分

政界の生き字引のような方だったことと思います
我々の知らない裏側の影響力も凄かったのではないかと勝手に想像します
もちろん第一線は退いていたと言うことでしょうが、こういった"妖怪"の存在は福田派の流れを汲む森派に今後どのように影響されるのでしょうか?

歴史をあとから見返すと、前後して『記号』のようなものが見透かせたりすることがあります
ブッシュのレームダック、ブレアの大敗、小泉の断末魔の暴走、安倍晋三の馬脚と不徳の露見・・・
いろいろな意味で「潮目」みたいなものを感じます

氏のご冥福を祈ります
。。。合掌

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「政界の寝業師」松野頼三氏 死去

子供の頃の印象では「灰色」政治家。 このところは小泉首相の後見人然としたコメンテーター。 松野頼三さんについてはこんなイメージでした。 小泉政権の終焉が近くなってきた昨今、後見人の死はその印象をより強くしますね。 松野頼三氏が死去 「政界の寝業師」の異名

  • 2006/05/10(水) 21:47:05===
  • When My Blog Turns To Gold Again
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